生態・分類・進化学関連分野の研究動向に関する問題提起

 

矢原徹一(九州大学大学院理学研究院;日本学術振興会学術システム研究センター生物系科学専門調査班専門研究員)

 

日本学術振興会学術システム研究センター専門研究員として、生態・分類・進化学関連分野の研究動向に関する調査を担当している。この調査の成果については、科学技術行政における政策決定の資料となることが想定されている。この調査をどのように行うかについては、まだ定まった方法論がない。方法論を整備するところから仕事を始める必要がある。

そこで、まず筆者が問題提起のための文書をまとめ、その内容に関して、関連分野の指導的研究者に意見を求めようと考えた。この目的のために準備したのが、本文書である。

 

何をどのように分析するか

研究発展の駆動力として、新たな発見、理論的革新、技術革新、社会的関心、そしてこれらを背景とした研究開発投資があげられる。研究動向の分析においては、これら4つの要素に関する時系列的な調査が必要だろう。

各研究分野でどのような新発見・理論的革新・技術革新があり、これからどのようなテーマについての研究が発展しそうかについての調査に関しては、指導的な研究者に対するヒアリングを行うのがもっとも効率的だと考える。

社会的関心という点では、地球環境問題(地球温暖化・森林破壊・種の大量絶滅など)と、人間の生命の問題(ガン・遺伝子治療・こころや意識の問題など)に大きな注目が集まっている。この点には、ほぼ異論がないだろう。

基礎科学の研究開発投資に関しては、アメリカ合衆国のNSFが採用する方針が、世界の研究動向に少なからぬ影響力を持っている。したがって、NSFの研究費投資の動向を調査することが必要だろう。

この文書では、NSFの研究費投資の動向を手がかりにして、生態・分類・進化学関連分野の研究動向に関する私見を述べる。この文書に対する意見を求めることで、「これからどのようなテーマについての研究が発展しそうか」「これから発展する分野に対してどのような投資をすべきか」という課題についての判断材料を得たいと考えている。

 

3期科学技術基本計画の理念・目標との関連

調査にあたってのひとつの「視点」として、第3期科学技術基本計画の理念・目標を引用しておきたい。

3期科学技術基本計画(平成1822年度)は、「人類の英知を育む」「国力の源泉を創る」「健康と安全を守る」という3つの理念を掲げている。基礎科学はとくに、「人類の英知を育む」点に貢献する責務がある。この理念の下に、3つの目標と3つの課題が設定されている。

目標1 飛躍知の発見・発明

(1)   新しい原理・現象の発見・解明

(2)   非連続な技術革新の源泉となる知識の創造

目標2 科学技術の限界突破−人類の夢への挑戦と実現

(3)   世界最高水準のプロジェクトによる科学技術の牽引

 

このような目標・課題設定を行った背景に関して、次のような説明がある。

「人類の英知を創出し世界に貢献できる国の実現のためには、飛躍的な知を生み続ける重厚で多様な知的蓄積を形成することが、科学技術にまず求められる。(中略)このような飛躍への知識の蓄積については、いまだ我が国は、欧米に比肩しうる十分な厚みを有するには至っていない。」

 私見では、私が大学院生であった30年前に比べ、日本の科学技術の水準はきわめて高くなっている。トップクラスに関しては、欧米と比してさほど遜色はないだろう。しかし、「厚み」という点では、確かに大きな差があると思う。どのようにして「厚み」を増すかという視点が重要だろう。

 一方で、政府の財政事情が思わしくない中で、科学技術に対してだけは、重点的な配分が行われている。この配分に対する国民的な支持を得ることは、科学技術の発展に不可欠となっている。「飛躍知の発見・発明」「科学技術の限界突破」という目標や、「人類の夢への挑戦」という表現は、国民への説明責任を強く意識したものである。基礎科学者には、基礎科学が「人類の夢への挑戦」であることを、わかりやすくアピールできるような、研究目標の提示が求められていると考える。

 

基礎生物学分野におけるNSFグラントの構成

アメリカ合衆国では、NSF以外に、NIHが医学系の生命科学に、USDAが農学系の生命科学に対して研究費を配分している。このため、NSFBiology分野の研究費配分は、日本の科研費の場合とは異なり、基礎生物学分野に集中している。研究費配分動向の分析を行うにあたり、この違いについてまず、認識しておく必要がある。

NSFBiology分野の研究費配分枠は、次の5つの分科(Division)に分かれている。

     Biological Infrastructure(DBI)(生物学的研究基盤整備)

     Environmental Biology(DEB)(環境生物学)

     Integrative Organismal Biology (IOB)(個体レベルの統合生物学)

     Molecular and Cellular Biosciences(MCB)(分子・細胞生物学)

     Emerging Frontiers (EF)(フロンティア領域)

これら5つの分科は、日本の科研費で言えば、ほぼ「基礎生物学」に相当するものである。Environmental biology(環境生物学)は、日本の科研費の「生態学」と「生物多様性・分類」をあわせたものに相当するが、アメリカ合衆国の伝統として、行動学や生理生態学は、              Integrative Organismal Biology(個体レベルの統合生物学)の枠内で扱われている。また、「進化生物学」という枠はないが、5つの分科のすべてにおいて、進化生物学的な研究が大きな比重をしめている。

以下、Emerging Frontiers (EF)(フロンティア領域)、Environmental Biology(DEB)(環境生物学)について、NSFのウェブサイトで公表されている資料をもとに、生態・分類・進化学関連分野における研究費配分の動向を要約し、コメントを加える。

 

NSFグラントの生物学領域におけるEmerging frontiers(フロンティア領域)

 まず、「フロンティア領域」においてどのような課題が設定されているかを見てみよう。

フロンティア領域では、以下のような課題が設定されている。Cは分科間をまたぐ学際領域(crosscutting)、NNSF全体で重視する領域である。

bulletAssembling the Tree of Life

Crosscutting ProgramsbulletEcology of Infectious Diseases

Crosscutting ProgramsbulletFrontiers in Integrative Biological Research

bulletHuman and Social Dynamics: Competition for FY 2006

Crosscutting ProgramsNSF Wide FlagbulletInterdisciplinary Training for Undergraduates in Biological and Mathematical Sciences

Crosscutting ProgramsbulletJoint DMS/BIO/NIGMS Initiative to Support Research in the Area of Mathematical Biology

Crosscutting ProgramsbulletMathematical Sciences: Innovations at the Interface with the Physical and Computer Sciences and Engineering

Crosscutting ProgramsbulletMicrobial Genome Sequencing Program FY 2006

Crosscutting ProgramsbulletMicrobial Observatories (MO) and Microbial Interactions and Processes (MIP)

bulletNational Evolutionary Synthesis Center (NESCent)

bulletResearch Initiation Grants and Career Advancement Awards to Broaden Participation in the Biological Sciences

 

Assembling the Tree of Life (ATOL)

これは、地球上のあらゆる生命体の系統関係をDNA配列にもとづいて再構成しようというプロジェクトである。DNA配列決定技術と系統推定技術の進歩によって、この目標は現実的なものとなった。バクテリアから人類に至るまでの全進化史を系統樹の形で描き出すという目標は、達成可能な「人類の夢」のひとつと言えるだろう。

この分野では、日本の研究者の貢献はかなり大きい。系統推定の方法論では、世界をリードしているし、魚類など一部の分類群では、組織的なプロジェクトが大きな成功を収めている。しかし、残念ながら「欧米に比肩しうる十分な厚みを有するには至っていない」という評価(第3期科学技術基本計画が日本の科学技術に与えている評価)は、この分野にもあてはまる。この点は、日本のグラント配分の問題点を象徴する例と言えるだろう。

大きな目標が達成可能になったとき、アメリカ合衆国では、かなり迅速に体系的なプロジェクトのデザインが描かれ、多くの研究者が目標達成に協力して取り組む体制が確立され、目標が達成されるまで、持続的かつ集中的な研究開発投資が実施される。ATOLの場合、2001年に領域が設定され、競争的なグラントの公募が開始されて以後、2002年から2005年までに、103件の研究プロジェクトが採択され、総額59,909,410ドル(1ドル=115円換算で、688958万円) の助成が実施された。その結果、アメリカ合衆国は、生命全体の系統関係に関する研究に関して、質と量の両面で、世界を牽引している。

 

Ecology of Infectious Disease

 この領域に関しては、わが国では研究がきわめて遅れている。合衆国では、ライム病など、野生動物が媒介する深刻な病気があり、また国立公園などに学位を持つレインジャーが多数いて、野生動物の健康管理に対する調査研究のニーズがある。このため、野生動物の病気に対する研究の体制が整っているが、わが国では、これに対応する研究のアクティビティは皆無に近い。獣医学分野で限られた規模の研究が行われているに過ぎない。鳥インフルエンザ問題が浮上して以後、この問題に限定して、研究費の配分が実施されているが、生態系における感染症の流行というテーマをフロンティア領域と位置づけて、体系的に取り組む体制にはない。

 NSFでは、2000年以後、60件の研究プロジェクトに対して、45,524,359ドル(523530万円)の研究助成が実施された。

 

Frontiers in Integrative Biological Research

 この助成枠は、領域を限定せずに、基礎生物学におけるフロンティア研究をサポートするシステムである。2003年以後採択されたのは、以下の15件であり、狭き門である。助成総額は49,780,046ドル(572470円、1件あたり平均38164万円)である。

 以下の15件のうち、タイトルを翻訳(意訳)した13件は、進化生物学的な研究課題であり、このうち邦題に下線を引いた8件は、生態学と他分野との境界領域の研究である。このことから、合衆国の基礎生物学領域では、進化生物学的な視点やアプローチによる研究と、生態学と他分野との境界領域における研究が、フロンティア領域として注目を集めていることがわかる。

 わが国でもこの方向でのフロンティア研究は急速に発展している。大型の研究助成としては、特定領域研究「種形成の分子機構」があげられるが、研究の「厚み」が不足している。

FIBR: The Emergence of Life: From Geochemistry to the Genetic Code(生命と遺伝暗号の起源)

FIBR: Understanding Multicellular Self-Assembly(自己組織化と多細胞の進化)

FIBR: Structure and Origins of Functional Modules(機能モジュールの起源:分裂酵母を用いた実験進化学的研究)

FIBR: Ecological Genomics and Heritability: Consequences of Extended Phenotypesポプラの生態ゲノミクス

How Organisms Adapt to New Enzymes and Pathways新しい酵素や生化学経路の獲得による適応的進化:シロイヌナズナによる研究

FIBR: A Systems Approach to Study Redox Regulation of Functions of Photosynthetic Organisms

FIBR - Molecular Evolutionary Ecology of Developmental Signaling Pathways in Complex Environments.複雑な環境における信号伝達系の進化生態学:シロイヌナズナによる研究

FIBR: BeeSpace - An Interactive Environment for Analyzing Nature and Nurture in Societal Rolesミツバチのさまざまな社会行動時における遺伝子発現情報を生理学・行動学・神経科学・進化学の情報と統合するインフォーマティクス環境の整備

FIBR: Neuromechanical Systems Biology

FIBR: Integrative Studies of Wolbachia-Eukaryotic Interactions; Genomes to Communities and Backウォルバキアと真核生物の相互作用

FIBR : The Evolution of Biological Social Systems社会システムの進化:細胞性粘菌を使った研究

FIBR: Causes and Consequences of Recombination組換えの進化的意義と結果:ミジンコを使った研究

FIBR: Integrated Ecological and Genomic Analysis of Speciation in Mimulusミゾホウズキ属植物における種分化の生態ゲノム学

FIBR: Do Species Matter in Microbial Communities?(微生物における種)

FIBR: Developmental Modeling and Informatics

 

Human and Social Dynamics

 心理学・認知科学・行動生態学の成果をもとに、人間の社会行動・意思決定などに関する研究を進めるために設定された領域である。わが国では、この分野の研究は、体系的に組織されていない。この背景として、わが国では伝統的に、心理学のコースが主として文学部に置かれてきたために、心理学・認知科学と基礎生物学の他の領域との連携が弱いという事情がある。生態学分野において、行動生態学の成果をもとに人間の社会行動を研究しようという流れはあるが、現状では非常に小さい。

NSFでは、Human and Social Dynamics に関して、20049月以来、191件に対して、総額86,203,820ドル(991344万円)の助成を行なっている。

 

生物学における数理的手法

 フロンティア領域において、次の3つの課題が設定されていることから、NSFが生物学における数理的手法の発展をいかに重視しているかがわかる。

Crosscutting ProgramsNSF Wide FlagbulletInterdisciplinary Training for Undergraduates in Biological and Mathematical Sciences

 生物学を志す学生は、物理学や工学を志す学生に比べ、数学が苦手な傾向にある。この点は、合衆国でも似た傾向が見られる。そこで、学部生段階から、生物学と数学の学際的教育に関するプログラム開発に対して、助成が実施されている。2004年以来、16件の教育プログラムに対して、9230106ドル(106146万円)が支出されている。

Crosscutting ProgramsbulletJoint DMS/BIO/NIGMS Initiative to Support Research in the Area of Mathematical Biology

 上記と異なり、数理生物学の研究に対する助成である。2002年以来、40件のプロジェクトに対して、総額22,652,901ドル(26円)の助成が実施されている。

Crosscutting ProgramsbulletMathematical Sciences: Innovations at the Interface with the Physical and Computer Sciences and Engineering

 物理学・コンピュータ科学・工学との境界領域に焦点をしぼった枠である。

 

微生物学

 数理生物学と並んで重視されているのが、微生物学である。以下の2つの特別枠が設定されている。一方は進化生物学と、他方は生態学との関連が深い。

Crosscutting ProgramsbulletMicrobial Genome Sequencing Program FY 2006

2001年以来、さまざまな微生物のゲノム計画に対して、助成を行なっている。微生物の比較ゲノム学を発展させる大きな駆動力となった。

Crosscutting ProgramsbulletMicrobial Observatories (MO) and Microbial Interactions and Processes (MIP)

USDAと連携した助成枠であり、農業生態系を含む、生態系の中での微生物の動態を長期的に観測するプロジェクトに対して助成が行なわれている。1999年にスタートした、Microbial Observatories(微生物観測)が、2004年から現在の名称に改められた。「長期生態学研究」(LTER;後述)への助成枠の一つとしても位置づけられている。

 

National Evolutionary Synthesis Center (NESCent)

生物科学を「進化」という視点から統合するアプローチを推進するナショナルセンターに対する助成である。ウェブサイト(http://www.nescent.org/main/)には、”Our goal is to help foster a ground synthesis of the biological disciplines through the unifying principle of decent with modification.”と書かれている。進化生物学の分野で実績があるノースカロライナ州の3つの大学(Duke, NC State, and UNC-Chapel Hill)による共同エフォートであり、3つの大学のスタッフに加え、現在15名のポスドク、7名のサバティカルスタッフ、3名のコンピュータ科学者がNSFグラントで雇用され、研究を進めている。

このナショナルセンターが設立された背景には、合衆国の自然科学における強い原理志向があると思う。合衆国では、いまなお学校教育で進化を教えることを禁じている州があり、進化に関する研究教育には、わが国とは違った重要性がある。このような事情を反映して、合衆国では、科学に立脚した統一的な自然観の確立という原理的な課題が、わが国に比べ重視される傾向にある。基礎科学による一般原理の解明は、技術開発の基礎としてのみならず、人類の思想の基礎として重視されているのである。

生物学は、現代の自然科学の中でもっとも進展の著しい分野なので、その生物学全体を統合する自然観の確立は、思想的な重要性を持つフロンティア課題である。その統合のための視点として進化生物学が特に重要だという判断から、ナショナルセンターの設立が行なわれたのだろう。

 

フロンティア領域に関するまとめ

医学系や農学系のグラントエイジェンシーとは別に、NSFが基礎研究分野に対して助成を行なっていることがアメリカ合衆国の強みである。

NSFは、基礎生物科学分野において、「フロンティア領域」の研究課題を戦略的に設定し、集中的かつ持続的な研究費配分を行い、世界を牽引する研究成果を生み出している。領域設定自体はトップダウンで行なっているが、領域内で助成する研究課題は公募によって採択し、ボトムアップによる研究推進策をとっている。

NSFが設定している「フロンティア領域」の研究課題には、わが国でもすぐれた研究成果が出ているが、「厚み」が不足している事例と、わが国では研究が立ち遅れている事例がある。いずれにせよ、わが国が世界を牽引している状況とは言いがたい。

「人類の英知を創出し世界に貢献できる国の実現」という第3期科学技術基本計画の目標を達成するには、基礎生物学分野で、「飛躍知の発見・発明」につながる「フロンティア領域」を育てる必要がある。しかし、わが国では、「政策課題対応型研究開発費」に関しては「選択と集中」という方針がとられているが、「研究者の自由な発想に基づく研究」に関してはこの方針を採用していない。これはひとつの見識である。助成規模が決して十分ではない基礎領域において、安易な「選択と集中」を行なえば、選択された分野の発展のために他の分野が犠牲になる可能性がある。

しかし、これから大きな発展が期待できる基礎領域をサポートする制度が弱いのも事実である。科研費の現行制度の中では、「特定領域研究」がフロンティア領域へのサポートを担うものだろう。「特定領域研究」は、「我が国の学術研究の水準向上・強化につながる研究領域、地球規模での取り組みが必要な研究領域、社会的要請の特に強い研究領域を特定して、一定期間、研究の進展等に応じて機動的に推進し、当該研究領域の研究を格段に発展させることを目的とする」とされている。

ただし、現行の「特定領域研究」の審査では、実績が重視されがちであり、フロンティア領域への助成に必ずしもつながっていない。「特定領域研究」を拡充・改組することにより、フロンティア領域への助成枠を確保し、フロンティア領域に対して公募を前提とした戦略的な支援を行なってはどうか。

 

NSF「環境生物学」分科の研究費配分動向

 次に、Division of Environmental Biology (DEB)の研究費配分動向を検討する。この分科は、Ecological Biology(生態生物学)、Ecosystem Science(生態系科学)、Population and Evolutionary Processes(個体群と進化過程)、Systematic Biology and Biodiversity Inventories(系統生物学と生物多様性探索)という4つのクラスターに分かれており、これらの研究分野の基礎的な研究課題に対する公募を行なっている。

 これに加えて、以下の特別枠を設けて公募を行い、戦略的な研究費配分を実施している。

     Long Term Research in Environmental Biology

     Long-Term Ecological Research (LTER)

     National Center for Ecological Analysis and Synthesis (NCEAS)

     Opportunities for Promoting Understanding through Synthesis

     Partnerships for Enhancing Expertise in Taxonomy

     Planetary Biodiversity Inventories

     Revisionary Syntheses in Systematics (REVSYS)

 

Long Term Research in Environmental Biology

環境生物学分野のおける長期的な研究を支援する助成枠である。公募文書のシノプシスには次のように書かれている。

Researchers must demonstrate at least six years of data collection to qualify for funding and the proposal must convey a rationale for at least ten additional years of data collection.

この枠において、2000年以来、28件、総額6,704,827ドル(77105万円)の助成が行なわれた

NSFのウェブサイトでは、LTREBのみの集計が掲載されていないため、研究課題において申請者がLTREBと表示したプロジェクトのみを集計した。このため、件数・金額は過小評価である。ちなみに、NSFのウェブサイトの、LTREBのページからリンクされている環境生物学の助成課題は、1997年以来、378件、208,756,601ドル=240700万円であり、この中には上記の28件以外に、大規模長期観測研究がかなりの割合で含まれている

地球温暖化の事例が象徴するように、生態系や生物群集・個体群の変動のパターンを把握するには、長期的な観測が欠かせない。そのため、NSFでは、長期観測研究に対して、特別枠を設定して、戦略的かつ持続的な支援を実施してきた。その結果、長期的な観測結果にもとづく研究において、アメリカ合衆国は世界を牽引している。

その成果の一部は、オックスフォード大学出版会のThe LTER Networkシリーズとして、すでに9冊のテキストhttp://intranet.lternet.edu/committees/publications/oxford/にまとめられている。

わが国でも長期観測研究に対する地道な努力が行われているが、特別な支援体制はなく、観測の継続は研究者の熱意とボランティアによって支えられているのが実状である。

 

Long-Term Ecological Research (LTER)

 Long Term Research in Environmental Biologyと対をなす助成枠であり、この枠でLTERに指定された26の大規模長期観測ステーションhttp://www.lternet.edu/sites/整備とそのネットワーク化に対して助成が行なわれた現在では、グラントの公募は行なっていない。

 26の大規模長期観測ステーションの整備において、どの程度の研究資金が配分されたかは、NSFのウェブサイトには記載されていない。

 2004年には、National Ecological Observatory Network (NEON)という新しい枠組みのパイロット研究が開始された(この助成枠はDivision of Biological Infrastructure(DBI)にある)。今後、このプロジェクト枠が、LTERの成果を継承し、観測拠点間のネットワーク化による大規模長期観測研究を推進していくものと思われる。

 わが国は、2003年に小泉首相が提唱した「地球観測サミット」を受けて、200412月の総合科学技術会議で「地球観測の推進戦略」を決定し、20052月の第3回地球観測サミットにおいて、全球地球観測システム(GEOSS10年実施計画の策定にリーダーシップを発揮した。この10年実施計画には、地球科学的な観測だけでなく、「生態系の機能と構造及び生物多様性に関する包括的な観測」など、生物学的観測も含まれている。しかし、生物学的な長期観測に対する組織的助成はまだ整備されていない。

 

National Center for Ecological Analysis and Synthesis (NCEAS)

生態学分野におけるナショナルセンターの設立と運営に関して、1995年以来、NSFが助成を行なってきた。

 

Opportunities for Promoting Understanding through Synthesis

 Ecological Biology(生態生物学)、Ecosystem Science(生態系科学)、Population and Evolutionary Processes(個体群と進化過程)という3つのクラスターの間の総合をはかるプロポーザルに対する助成枠である。NSFが分野間の統合を重視していることが伺える。

 

Partnerships for Enhancing Expertise in Taxonomy

 分類学分野のエキスパート養成に対する助成枠である。応募にあたっては、少なくとも2名の分類学研究者を育成する計画が要求されている。この枠が設定されている背景には、多様な生物種の同定能力を持つ分類学者が不足しているという現状認識がある。

 

Planetary Biodiversity Inventories

 地球上の生物多様性を探索し、記載する研究プロジェクト(チームワーク)に対する助成枠である。「must be global in scope」であることを応募要綱で明記している点が、アメリカ合衆国らしい点である。

わが国でも、科研費基盤研究の海外調査枠で、生物多様性インベントリーを目的とする研究課題に対する助成が行なわれているが、ローカルな研究が大部分をしめている。わが国の研究者がイニシアティブをとれる分類群において、海外の研究者と協力しつつ、全地球スケールで探索を行なう組織的なプロジェクトに対する助成を考える必要があるのではないか。

 わが国の研究者が組織している国際的なプロジェクトとしては、世界の浅海域の生物多様性を統一したフォーマットで記載することを目的とした、NaGISAプロジェクトhttp://www.coml.org/descrip/nagisa.htmがある。「人類の英知を創出し世界に貢献できる国の実現」という目標を実現するには、このような国際的なプロジェクトに対する持続的な支援が必要だろう。

 

Revisionary Syntheses in Systematics (REVSYS)

 特定の分類群に関して、全地球規模でのモノグラフをまとめる研究に対する助成枠である。日本の分類学研究においても、すぐれたモノグラフがまとめられているが、全世界を対象にした研究は限られている。

 

環境生物学分野のまとめ

 生態学分野では、合衆国とわが国の大きな違いは、大規模長期観測研究に対する組織的な研究助成の有無にある。生態系レベルでの現象の発見や仮説検証には、大きな空間スケールで、長期的な観測を行なうことが必須である。合衆国では、大規模長期観測ステーションとそのネットワークが整備され、このインフラを活用した長期研究に対する特別の助成枠が設定されている。また、このような長期研究に大学院生を参加させることにより、長期的な視野で研究を行う人材の養成が進められている。

 一方、わが国の生態学では、理論的研究に加えて、進化生態学・行動生態学・実験個体群生態学など、小さな空間スケールでの、短期的な観察・実験による実証研究が大きな成功を収めている。しかし、大きな空間スケールでの、長期的な観測による実証研究は、大きく立ち遅れているのが実状である。このような研究の推進には、観測ステーションと、長期研究をサポートするグラントシステムの整備が欠かせない。

 観測ステーションに関しては、大学附属の演習林だけでも全国で約80箇所を数える。水産実験所・臨海実験所・農場・植物園などの、スタッフが配置されている大学附属施設は数百を数える。これらの施設の多くは、教育実習施設として設置されたものだが、法人化後の大学においては、研究への活用が求められている。これらの施設を観測ステーションとして整備する計画に対する競争的資金を時限付で設ければ、インフラ整備は急速に進むだろう。

 長期研究をサポートするグラントシステムとしては、基盤研究の下に、「長期研究」という枠を設ける案が考えられる。年あたりの配分額は少額でも良いので、6年間〜10年間程度の研究期間に対する助成枠があれば、長期研究は大きく展開するだろう。

 分類学分野では、ローカルな研究が大部分をしめており、全地球スケールでの研究が弱いのが実状である。あるグループに関する体系的な研究は、その群に属す地球上のすべての種を対象にしない限り不完全なので、全地球スケールでの研究をさらに推進する必要がある。この課題を達成するうえでも、「長期研究」という枠を設ける措置は効果的だろう。

 

「厚み」の不足はどうすれば解消できるか

 最後に、上記のようなアメリカ合衆国の研究費配分に対して、わが国の戦略をどのように設定すべきかについて私見を述べる。

 アメリカ合衆国は、すべての科学分野において、国際的なリーダーシップを維持し、さらに強化することを目標にしていると言っても過言ではないだろう。一方、日本は、戦後を通じて欧米に追いつくことを目標に科学技術振興策をとってきた結果、トップレベルでは欧米に肩を並べる水準に到達したが、「厚み」が不足しているという状態である。

 「厚み」の違いには、研究者数・研究者の力量・研究費という3つの要素があるが、このうち研究者数が、決定的に違う。文部科学省の報告書「博士号取得者の就業構造に関する日米比較の試み」によれば、合衆国の場合、理工農学分野博士取得者総数575千人のうち245千人(約 40%)が4年制大学に職を得ている。この資料から、合衆国には「245千人」の4年制大学の研究スタッフがいることがわかる。一方、わが国の場合、文部科学省の学校基本調査によれば、理工農学分野の国立大学教員数は約2万人である。したがって、理工農学分野では、4年制大学の研究スタッフ数に、日米間で約12.5倍の差がある。この数字は、私の実感と合う。合衆国の大学にいくと、どの分野でも、研究者が日本より一桁多い。アメリカの研究の競争力は、このような4年制大学における研究者の層の厚さに支えられている。

 この点で、第3期科学技術基本計画が、「ものから人へ」という基本方針を掲げたことは、きわめて大きな意義があると思う。運営交付金による雇用を増やすことは困難な状況であるが、競争的資金による研究者の雇用に関しては、可能性がひろがっている。テニュアトラック制の導入によって将来の安定したポストを確保しつつ、競争的資金による雇用を拡大し、若手研究者の層を厚くすることが、「人類の英知を創出し世界に貢献できる国の実現」という目標を達成するためには、欠かせない措置だろう。

 この方針を進めるにあたっては、研究者の雇用動態について、正確な統計を整備し、大きな混乱が生じないようにすべきである。この点に関する調査・検討について、競争的資金枠を設けるのも、一つの対策として有効だろう。

 競争的資金による雇用の拡大を促進するには、科研費に代表される基盤的な競争的資金の拡充が不可欠である。科研費を大幅に増やす方向で、さまざまな形での努力が必要である。「長期研究」「フロンティア領域」など、新しいコンセプトの助成枠に対して予算を要求することは、科研費増額への有効な手段となるのではないか。

 「厚み」の不足への対策において、合衆国のように全分野での強化を目標にするか、それともいずれかの分野に集中的な投資を行なうか、という判断が必要になる。この点に関しては、合衆国と全分野において競争するという戦略は現実的ではないし、一方で、限られた分野に重点的な支援を行なうことも、学問分野全体の発展を阻害するだろう。したがって、戦略的な支援を行なう課題への助成枠と、課題を特定せずに自由な提案を受け付ける枠を併置する方策が、もっとも妥当な選択だろう。

現在、研究者の自由な発想に基づく基礎研究に対しては、選択と集中、という方針を採用していない。しかし、たとえばフロンティア領域に関しては、合衆国のように課題を設定して一定期間重点的な助成を行なう必要があるだろう。すでに述べたように、「特定領域研究」を拡充・改組することにより、フロンティア領域に対する競争的資金枠を設定することが、ひとつの解決策ではないかと考える。

生態・分類・進化学関連分野については、この文書をもとに、これから大きく発展することが期待され、とくに重点的な支援を必要とする課題について、国内の指導的な研究者の考えを集約したい。